ユキカゼ


作品タイトル「黄昏の暁」
登場艦娘:三式潜航輸送艇ゆ十七
司令官名:佐伯文郎中将(陸士二三期 陸軍船舶隊司令官兼陸軍運輸部長・広島警備担任司令官)


「予想以上だ……」
 サイゴン川を行く船を眺めながら船舶輸送司令官・佐伯文郎は一人呟く。傍には開戦一週間で被害を受けた全船舶の名前が書かれた書類が置かれている。
 ――往け八紘を字となし、四海の人を導きて
 ――正しき平和うち建てん、理想は花と咲き薫る
 どこからか勇ましい曲調にのせて歌声が流れてくる。また祝勝会をやっているのかもしれない。それとも有志が街頭で演奏を行っているのだろうか。いずれにせよ、連日のように続く宴はまだ終わりそうにない。
 そう、正に日本中がお祭り騒ぎだった。
 真珠湾攻撃でのアメリカ太平洋艦隊壊滅、マレー沖海戦でのイギリス東洋艦隊壊滅、フィリピン、マレー半島、太平洋の諸島で行われる快進撃。泥沼のように続く中国大陸での戦いと、欧米列強による経済制裁がもたらしていた陰鬱な雰囲気は、あの日を境に全て吹き飛んだ。
 ラジオと新聞は無敵皇軍の勝利を伝え、民衆による提灯行列はどこまでも続く。まるで勝利が永遠であるかの如く、日本中が歓喜の中にあった。
 そしてその祝賀ムードは、フランス領インドシナ連邦の首府であるサイゴンにも溢れていた。
 フランスによる植民地統治の中枢として発展し、東洋の巴里とも呼ばれるこの美しき都市には、日本軍の南方攻略作戦を統括する南方軍司令部と輸送船の運用を行う船舶輸送司令部が置かれている。各地から入る勝利の報告に、駐留する将兵や邦人らは今日も祝杯をあげるのであった。
 そういった雰囲気に背を向け、サイゴン川の辺に建つマジェスティック・ホテルに戻ってきた佐伯は、報告された船舶の被害と、今日見聞きしたことについて考えていた。

「あっという間のことでした」
 赤い二引のマークがデザインされた帽子を被った人物―日本郵船「佐倉丸」船長―が戦闘の様子を語る。
 昭和十六年十二月八日、マレー半島コタバルへ敵前上陸を敢行した佗美支隊は、英軍の予想以上の反撃に苦戦を余儀なくされた。
 コタバル沖で揚陸作業を行っていた輸送船団もまた英軍機の空襲に晒され、対空戦闘開始の号令から十分も経たずに淡路山丸に小型爆弾が直撃、第二船倉ハッチ付近に積み上げられていたガソリンに引火し爆発を引き起こした。更にまだ荷降ろしが済んでいない砲弾が誘爆し、またたく間に淡路山丸は消火不可能な状態となってしまった。
 数次に渡って行われた英軍機の攻撃により、淡路山丸が全船炎上のため放棄、綾戸山丸が五・六番船倉付近に直撃弾を受け後部砲座の船舶砲兵隊員と衛生兵が全滅、防空基幹船として対空兵装を強化していた佐倉丸でさえも退避途中に直撃弾を受け損傷を負った。
「脆いものです。戦場へ赴く以上、こうしたことは覚悟の上でした。しかし、船が空からの攻撃にこれほど無力だとは思っていませんでした」
 そして、ブリッジを案内する船長は、唐突に問いを投げかけた。
 ――私たち船員は、死んだら靖国に祀られるのでしょうか?――
 佐伯自身、それに対する答えを持ち合わせていなかった。